|
|
|||||
| ■ 馬車に乗ってお城へ 朝食後、ホテルの右前にあるホテル・ミューラー (Hotel Muller) 前から 、2頭立ての馬車に乗って、待望の 「ノイシュヴァンシュタイン城」 へ登って行く。徒歩でも30分ぐらいの道のりであるが、普段馬車など乗る機会はなく、珍しさ半分であった。座った位置が一番前の席で、2頭の大きな馬のお尻が目の前で動く迫力と、その体臭? (馬臭) の強さにはびっくり、かみさんも初めてらしく、「コワイ〜コワイ〜」 の連発で大笑い。お城の入り口の広場に、およそ20分程で到着した。 【写真1】 ■ マリエン橋から眺める そのまま城には入らず、お城に沿って右手の道を進むと、城が一番美しく見える高さ92メートルのペッラート渓谷 (Pöllart) に架かるマリエン橋 (Marien brugke) に行く。この橋からの写真は色々なところで見ているが、やはり実景は一見の価値がある。ニ人だけでのんびりと写真を撮っていたが、やがて 「ワ〜!・・・」 という声と共に、バスでやって来た大勢のツアー客で一杯になり、交代してお城に向かう。その道中で、木立の間から見たお城のほうが、何故か新鮮に見えた。 【写真2・3・4・5・6】 ■ この城の生い立ち まだ弱冠22才のバイエルン王国、第4代国王、ルートヴイッヒ2世 (Ludwig U/1845〜1886) が、最も崇拝していた音楽家ワーグナーに、1868年 「ホーエンシュヴァンガウにあるペッラート渓谷そばの古城跡を、旧いドイツ騎士の城として純粋に再建するつもりです。大切なのは、この世の中で最も美しい城を創ることで、神聖で神のごとき友に相応しい神殿をつくることです・・・・。」 と書いた信書を送っている。 ■ 謎の溺死を遂げた王 その翌年の1869年に再建を初め、17年の歳月と、バイエルンの財政をも揺るがす巨額の費用をつぎ込み、国民からは狂気の王として、冷ややかな目で見られながら建てた白亜の城も、未完成のまま、妃もめとらず、孤独な41年の生涯を終えることになる。1886年、およそ60キロ離れたミュンヘン (München) の近郊にある、シュタンベルク湖 (Starnbergersee) で、付き添いの医師と共に謎の溺死を遂げたのである。この死は自殺と発表されているが信憑性は低く、今も謎が多い。崇拝していたワーグナーを1度も城に招待することなく、王自身、この城に滞在したのは僅か172日間 (約半年) の短い期間だったと言われている。 ■ そして115年後の現在 最近になって、その死の原因を解明する動きが現れ、公開されていなかった古文書を解読すると明確となると言われているが、謎のままそっとしておきたい・・と考える人も多いであろう。かって財政をも揺るがせたこの城も、今や世界中からの観光客を引き寄せ、現在バイエルン最大の観光収入となっている事実を、ルートヴイッヒ2世はどのように感じておられるのであろうか、そっと、お聞きしたいものである。ルートヴイッヒ2世は、ミュンヘンにある 「聖ミヤエル教会」 地下の、生家 「ヴィッテルスバッパ」 の納骨堂に、いま静かに眠っているのである。 |
|||||
|