中込靖成の描く風景画について
人間の記憶ほど不思議なものはない。現実の世界で起こっている事柄が心の中で全く異質な物に変えられてしまうことがあるからである。心の中では、絶えずある選択が無意識のうちにおこなわれている。自分が好きなことや望んでいることは瞬時に記憶のなかに留めようとするが、反面そうでないものは忘却の彼方に葬ってしまおうとするのである。従って、記憶そのものには欠陥があるのだが、同時にそこには人間にしかない特質も含んでいる。人間は感覚的あるいは知性的な連想を積み上げながらそれぞれが育んできた個々の記憶を、人間同士で共有し理解し合える力を持っている。しかし、人はそれぞれ必ず異なった経験を持っていて、その違いから生まれてくる独自の思考過程を通って個々の記憶にたどり着くのであるから、個々の人間の記憶がどのような連想から生まれてきたかを解明するのは全く複雑怪奇だと言わざるを得ない。たった一個の物体も、理屈の上ではそれを見た人間の数だけ、それぞれ異なった多数の意味を持っているである。
中込靖成の描く「風景シリーズ」においても、その個々の作品は感情をある程度押さえた描き方をしているために、画面から最初に飛び込んでくるものは彼がその作品の中に表現しようとしている事実とは異なる時がある。各「風景」の作品には特定の場所を示唆するような名前が付けられずに作品番号だけが打たれている。これは彼の作品の多くが記憶から創造され、描きあげられてきたことを物語るのある。この手法によって時空を越えた世界を創りだし、作者の内面にある個人的な世界をより普遍的な領域まで表現できるような風景を生み出しているのである。彼の描く風景は画家として自らの記憶に蓄えてきた、不確かではあるが心の奥に潜む内面の風景を具体的な画像として表しているのである。水と雲が融合し微妙に浮き上がる梢の輪郭など、その構成の中に画家としての意図が伺える。半ばぼかした画面や最小限におさえた色づかいなどによって、未知の場所と時間を感じさせる世界を遺憾なく表現している。このようにして描きあげられた風景の中には普遍性があり、ありきたりの単なる調和の世界はないのである。
彼の作品に潜むこの普遍的な特質によって、作品を鑑賞する一人一人が自らの内面にあるものを通して、独自の世界をその作品の中に生み出すことが可能になるのである。作品を見ている人の心の動き、知識、記憶、経験等、個人個人の中にある特有な世界が連動して、作品を鑑賞する人それぞれの解釈が生まれてくるのである。従って、鑑賞する人の心の反映があってはじめて、その作品の風景が完成することになる。ひとつひとつの静止している風景は、人間ひとり一人の異なる記憶の世界を媒体として、無限の解釈を可能にしているのである。今回だされているさまざまな「風景」は、彼の日本での幼少時代の回想からだけでなく、最近アメリカ合衆国を旅した時に得た記憶から生まれてきたのではなかろうか。記憶から生まれてくるものには一瞬のおもむきがあり、その神髄にあるものは、それが実在していのたかあるいはしていなかったのかを問うような領域を越えているのである。私がここに出品されている彼の作品で非常に素晴らしいと感じていることは、ぼんやりとした実態のない記憶を具体的な形となる画面に昇華させるその想像力と技である。一つ一つの作品がそれぞれ異なる多くの「風景」を見る人々の心の中に彷彿とさせるのである。
このような繊細な「風景」を創造し描きあげていくのに、中込は絶妙なタッチで実に多くの画具を使用している。幻想的な雰囲気をだすためには、油絵の具、また時折アクリル絵の具なども用いている。その際、絵の具が混ざらないようにするために、スキージやブラシそれにローラーなどを巧みに駆使して描きあげている。このような手の込んだ作品を完成するには非常に手早い作業が要求されるのである。それによって版画では表せない厚みのあるより豊かな質感をだすのに成功しているのである。
「風景」と命名された今回の彼の作品では、画家としての彼の画風や考え方が、特にここ2年間の間に徐々に変化してきていることを証明している。ここLA Artcoreに展示されている一連の作品には、彼の世界旅行(ロスやニューヨークでのかなり長期にわたる滞在を含む)、並びに日本での美術教師としての経験が基になって、彼独自の絵の世界を遺憾なく展開していると言うことができる。この新しい理性的とも言える彼の画風によって、以前の作品よりかなり具体的な世界が描き出されている。従って、私たちが彼の「風景」の中に描き出されている世界を鑑賞する時に、作品の中に潜む大自然の姿をより一層深く理解することが可能になるのである。
今回、5つの「風景」が水平に並べられた状態でかけられていますが、それは単に展示上での一つの順序にすぎません。一つ一つの「風景」にはいくつかの共通点はありますが、おそらく無数の全く異なる景色から生み出されたのであることは容易に推測できるのである。画家中込自身がアメリカ西海岸をサンフランシスコに向けて最近旅行した時に、心の内に焼き付けられた場面がこれらの作品に影響を与えている、と述べていることから理解できるのである。
黒や灰色を配した雲のような陰影によって、深い瞑想の世界が描き出されております。これによって見る者は一瞬にして、自らの過去の記憶へと時を遡ることができるのである。中込氏の作品の多くは、名も知らぬどこかの高速道路を猛スピードで車を走らせている時に車窓から撮られたスナップ写真を、人々の心に残像として浮かび上がらせるような効果を生み出しているのである。別な言い方すれば、一瞬の間に心に焼きつけられた場面を紙やキャンパスの上に見事に蘇らせ、失われた時間を再現していると言うことができるのである。彼の作品一つ一つはそれを見ている人々の心を無限の想像の世界に誘う窓である。従って、これらの作品には国境や国籍の概念はなく、それらを超越した可能性だけが描かれているのである。
Art Critic
Virginia Dressler
文責(翻訳)
中山八十司