エッセイ,貴流美威,尾崎豊,野良犬,尾崎,豊,孤独,強さ,忘れない

野良犬は走っていた



あれはまだ僕が、ただ「自由になりたい」と思っていた頃。夜中に珍しく目を覚ました僕の耳に、とても悲しそうな野良犬の遠吠え(こえ)が届いた。
気になったけれど、常に監視されている毎日が当たり前のように続いていた僕にはどうすることも出来なかった。いつからか、きっと夢だったんだろうと思っていた。

それから何年かして、多少の自由も利くようになった頃。行く当ても帰る当てもなく、街をふらついていた。高波の潮騒が響く砂浜。拡がる田園風景。小さなスーパーと寂びれた公園。やっと手に入れたラジカセを手に逃げ込んだ木の上の隠れ処。
限られた行動範囲を脱出することすら出来ない弱くて無力な飼い猫だった。誰も信じれないと嘆いていた、強く、強くなりたいと願っていた僕。
何気に聞いていたラジオから流れたのは聞き覚えのある遠吠えだった。どこか切なくて、悲しそうで、淋しそうで。それでいながら希望を湛えた声。
初めて「言葉」を聞いたような気がした。僕に、僕の心に彼の言葉が響いた。
野良犬はいつも吠えていた。街を気まぐれにふらついていた。何かに向かって走っていた。行動範囲は限られることもなく、自由気ままに生きているように思えた。
そんな彼を同じように見つめる仲間をみつけた。同じ行動範囲を脱出することも出来ず、自由気ままな野良犬を見つめていた。仲間は一人二人と増えて、直ぐにでも脱出したかった筈の狭い街も、そんなに悪くないって思えた。

そんな僕らにとって、野良犬は希望の星だった。諦めかけてた毎日に潜む沢山のもを教えてくれた。それは楽しいことばかりではなかったし、むしろ辛いことや苦しみや悔しさだったけど。野良犬の遠吠えと唄、それに惹かれた仲間たち、それだけでもその時の僕は生きていける気がした。
不満もいっぱいあったけど、楽しかった。


突然、野良犬の遠吠えが聞こえなくなった。野良犬がこの世界から消えてしまったと知った。
仲間たちは少しずつ減って、いつまでも夢なんかみてられないなんて言った奴もいた。
やがて、野良犬を忘れられない僕の傍には誰もいなくなった。

限られた行動範囲は、何もない寂びれた風景に戻って、留まる意味もなくなった僕はそこを飛び出して野良猫になった。本当の自由を見つけるために。僕が生きている意味を探すために。


あれから沢山の時間が流れて、辛い想いをしたり、壁にぶつかったり、限界を感じたりした。その度に僕が思い出すのは野良犬の言葉、唄、遠吠え・・・笑顔、涙。
彼の足跡を辿るように、いろんな体験をして、そして彼が言っていた言葉の意味をひとつひとつを体で感じだ。自分自身の心で感じた。
野良犬がこの世界から消えて10年経っても、好きな気持ちは変わらないけど、彼を好きだった僕がやるべきこと・・・違う、求めるもの、の姿がやっと見えてきた。
ちっぽけな野良猫の僕の声は、野良犬の遠吠えみたいに響かないけど、僕は僕で孤独と自由とそして何かを探しながら街をふらついている。
辿っていた足跡はもう途絶えてしまったから。

僕はただ、彼の言葉とメロディと声と笑顔を忘れずに、彼が見つけられなかったものを見つけたいと思った。ここからは、僕が切り開いていこうと。 僕のすべてをかけて、孤独と自由と愛と何かを叫び続ける、走り続ける、求め続ける。
そうしたいんだ。そう決めたんだ。


そして、今日も野良猫は街を彷徨う。
時々、野良犬の唄を口ずさみながら。
街の冷たい風に流されてしまわぬように、しっかりとアスファルトを踏みしめて。

いつだって走り続けていた野良犬。
僕には走り続けることは出来ないかもしれないけど、 時々休みながらでも、今度は僕が足跡をつけていく番だ。
きっと誰かが僕の足跡に気付いてくれると信じて。

野良犬の意思を継ぐものの一人として。

命を失うその一時まで。
きっとそれが、僕の真実だから。




年月が流れるのは早いもので、もう豊が他界して10年以上過ぎた。あの年生れた友人の娘さんは今年小学校4年生だ。
豊は今でも学生、特に男子には変わらず人気があるらしいが、もう世間的には忘れられた人になりつつある。それがいいか悪いかは解らない。けど、彼が他界して邦楽が大きく変化した気がするのは僕だけではないと思う。
ということで、今回は10年目にしてやっと、豊について。


豊を知ったのはもう既に15年以上前になる。ラジオ好きだった僕はラジオで気に入った曲ばかりをテープに編集して残していた。その中に尾崎豊の「I Love You」があった。あの、何とも言えない頼りなげな唄い方、そしてメロディーと詩に凄く惹かれた。もう、感覚の問題で「いい!」と思った。だが、その時はそれで終ってしまっていた。
そして数年後、偶然に「太陽の破片」を聴いた。これも震え上がった。・・・今ではこの曲を聞くと何故か夏の雨の日に扇風機に当たりながら横たわった風景を・・自分の視線で思い出す。そんな風に聴いた覚えはないけれど思い出す。
豊の曲は泣き声に聞えた。歌声は勿論、それぞれの楽器や言葉さえも・・。多分それが何よりも惹かれた原因なんだろうと思う。

音楽としては批判も多い。特に有名な「15の夜」や「卒業」はメロディというより、音符に言葉を詰め込んだような感じさえする。けれど僕は「音楽として」ではなく「表現として」それも好きだった。それらを僕は曲というより詩として聞いているのかもしれない。
・・・そう、豊の曲の詩には純文学の様な「たった1行の真実」があるんだ。「たった1行の真実」とは、僕が「はっ」とさせられる一瞬の言葉のことで、それは受け取る人によって違うし、実際本人が一番いいたいことかどうかは聞いてみなきゃ解らない。けれどその1行に救われたり突き落とされたりする。
そして、良くも悪くも人はひとりだと実感させられる。「でも。頑張ろう」って思わされる。一定の距離で見つめていてくれる仲間、先輩の様だった。

豊は音楽だけではなく、今やアーティストにお決まりの写真集、小説や詩集も出している。それらは思いっきり純文学の領域で、時々訳解らないものもある。特に僕は「白紙の散乱」という詩集の、「季節風」という詩が好きだった。
その詩を読んだときに、改めて「詩」というものは凄いって思った。自分もこんな詩が書きたいって思って、ずっと書きつづけてる。だからかな、時々「貴流美威さんの詩は尾崎豊に似てる」って言われることがある。誰にも似てないものを書きたいと思う反面、ちょっと嬉しかったりする。それだけ影響受けてるんだな、と思う。

豊が他界したあの日、4月なのに暑くて僕は活力が沸かなくて、ラジオをつけて部屋で寝そべっていた。そのラジオから報せを耳にした。土曜で休みだったため、翌日まで泣きつづけた覚えがある。
突然、豊という光をなくした気がして、途方にくれていたんだ。
いつだって、豊の曲が僕を励ましてくれた。いつも豊という存在を傍に感じていた。所詮、身近な存在ではないし、彼が他界してもCDやビデオ、本とかは残るけど、ライブに行くことが出来ない、そこに生身の豊がいないということが、何より大きな現実で。
豊の死をちゃんと落ち着いて受け入れて、曲を聴いたりビデオを見たりできるまで、半年ぐらいかかった。時には、先に逝ってしまった豊を逆恨みしてみたことさえもあった。

でも・・・。豊が他界したことの、本当の淋しさ悲しさ、そして切なさを身に沁みたのはそれからだった。ファン仲間が一人、二人と減っていき、いつまでも「豊が一番」と言い続ける僕の話を聞いてくれる人もいなくなった。

死んでしまったから――。

それだけでみんなの記憶から、豊の存在が薄れていく。自分の存在を忘れられるより辛かった。
月日が流れるごとに「尾崎豊」という名前を聞かなくなり、彼の曲を都会でもテレビやラジオでも聞かなくなり、彼の存在を知っている人さえも減っていった。

そして僕は、豊を知る前と同じく、いやそれ以上に「強くなりたい」と思った。だから、生まれた街を飛び出して、ビル風の中を一人で歩き出した。
豊の残した言葉の一つ一つを実感しながら。体験しながら自分の心に刻んだ。
豊の足跡を辿るように・・・。
それでも、通り過ぎてゆく時間はどんどん速度を上げて、その速さについてゆくのがやっとで。がむしゃらに走りつづける日々もあれば、突然諦めることばかりを考えて躓いたり、一人きりで彷徨い途方に暮れたり、淋しさに負けて夢を投げ出して恋に落ちたり。
いろんなことがあったけど、その節々で本当の自分に気付く度に思い出すのは、豊だった。
豊の言葉、音楽、声、笑顔と涙。そしてその度に改めて豊の存在を思い知る。
僕にとってどれだけ大きな存在だったか、どれだけ好きだったか、どれだけ支えられていたか。

そんなことを繰り返しているうちに10年経ってしまった。
今でも尾崎豊という人が好きだと思う。
そしてそれはきっと、ずっと変わらない。
僕の中に豊の居場所があるから。僕は豊を忘れないから。


豊が他界して、10年過ぎて。
やっと、残された沢山の中の一人である僕の、生き方を見つけられた気がする。

尾崎豊という人がいたこと、豊が叫んでいたこと、教えてくれたこと。豊が伝えてくれた沢山のことを、そんな素敵な人がいたことを、知らない人たちに伝えたい。
そして僕も、豊が求め続けた生きる意味を、僕を求めてくれるものを、僕にしかできないことを、そして生きる輝きを求め続けたい。

何度でも。
何度傷ついて、何度挫折して、何度限界を超えても・・・。

どこまでいけるかわからないけど、果たしてどこまでいけるのか。
いけるところまで行ってみようと思う。
いつだって走ってた豊のように。


僕は今も生きているから。


目を閉じれば豊の笑顔が浮かぶ。
僕の中には豊の歌声が響いている。




叫び続けること。

走り続けること。

求め続けること。

それが、僕に出来る豊への精一杯。

・・・だと、僕は思うから。


20020911



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