孤独-1999-



孤独。ひとりきりの暗闇。あまり良い印象を受けられない言葉。誰もが一人になりたくないと、孤独を避けようとして生きている気がする。
たぶんそれは生まれた瞬間から死ぬまで人は孤独だから。
混ざり合うことのできないひとつの身体。ひとつの心、ひとりきりの自分の命を抱えて 生きて行くから。
でも、だからこそ、他人の温もりを感じられるんだけどさ。

いつだったか僕は「孤独を愛する人なんだね」なんて言われたことがある。
きっとその人は、何かをするにも何処かに行くにもやたら1人でいたがる僕が、孤独を愛する様に見えたんだろう。僕自信、愛してるかなんて解らないけど、結構好きだよ。
孤独、ひとりきり。ってことは自由なんだ、って思ってるから。
何にも束縛されることのない自由。「自由」って言葉はいいけど、それが大変なことも知ってる。
ある程度・・・否、殆ど自分でやらなきゃならない。誰かに頼れない。だからこそ自分の好きな様に出来るんだもの。そして、その頼りない状況が孤独を感じさせる。
歌詞やキャッチコピーにありそうだけど「自由はリスクが付き纏う。リスクが多すぎる」のさ。

”孤独”と一言で云っても、いろんな孤独がある様な気がする。”孤独”ってどういうことなのか?なんて考えたことある?
言葉の意味は”ひとりぼっち”漢字熟語としての意味は”親のいない子供とひとりきりの老人”中国では青年期は孤独ではないらしい。
でも、今回はとりあえず日本語に忠実に”ひとりぼっち”単純に(物理的に)ひとりきりと言う意味で書く事にしよう。淋しさを感じても感じなくても。

ある心理学書で「情緒的に成熟した人は1人でいても、淋しくてどうにも出来ないなどということにはならない。」と書いていた。確かにその通りかもしれない。
でもそういう人には、成熟できない人の途方のない淋しさの重さを、知ってはもらえないと思う。多分知りたくもないんだろうけど(笑)
だからこそ、明暗がはっきりくっきりしてしまう。そして尚更”誰も解ってくれない”と塞ぎ込んでしまう人が増えるんじゃないかな?
こんなの僕のエゴかも知れないけど・・・・僕は自分も知っているからこそ、そんな孤独の淵で淋しさに包まれてる人に風穴を明けてあげたいと思う。孤独を恐れているばかりではなくて、一度外に出てみると孤独ってそんなに辛いことじゃない、って気が付けると思うんだよね。
ゆっくり心を落ち着けて顔を上げたら、本当はたくさんの笑顔がまわりにあふれていたりするってこと。そう、物質的な「ひとりきり」。それは永遠じゃない。
弱ってる時こそ、その1分1秒がどんなに大きなものか僕は知ってる。でもね、大丈夫。良く言われる様に「誰も独りでは生きられない」んだ。
逆に云えば、混ざり合うことなど出来ないからこそ、1人きりでは生きられないんだと思う。
「わかってもらえない」のは、淋しい事じゃなくて「当たり前」なんだ。ちょっとでも解り合えたら倖せだと思うよ。みんなそれぞれ違う「自分」を抱えてるんだからさ。

それでも、信頼できる人のいない孤独は重い。
でも、それに気付けたなら遅くはない、捜しに行こうよ!そして、信頼してもらえる人になろう!その為にもまず、自分を信じてみよう!自分を信じられたら、誰かを信じられる。 信じてもらえる人になれる、と僕は思う。
信頼できる人が出来たら、ひとりきりの孤独も怖くない自分に逢えると思うんだ。
だって、瞳を閉じたら信頼できる人の笑顔が見える。

今、この瞬間(とき)ひとりきりであっても、心の中に信頼できる人がいることの力強さを知ることができたら、孤独も怖くはないと思うんだよね。
もし、それでも孤独が(どうしようもなく)怖かったら、もう一度自分を見つめてみて。
信頼できる人が本当にいるか・・・・。こんなことを云いながら僕も時々淋しさに包まれるけど、孤独が怖いって事はなくなったよ。
「淋しいな」って想うことは良くあるけどね。
逆に、僕は敢えて”常に、唯一の信頼関係を持てる相手”をつくらないからなんだ、としか今は・・・・今の僕には云えない。
これもエゴかな。1人で泣いてる人に気付いてあげられる人間でありたい。だって、折角ならみんなが笑える様になった方が嬉しいもんね。 まぁ、それならボランティアでもした方が早いんだろうけど、心の不自由ってのは目には見えないから。もしをれを見つけてあげることができて、 その人が僕に話してくれるなら力になりたいと思うんだ。
やっぱりエゴだよね(^^;僕はカウンセラーでも何でもないから、無理にどうにかしようなんて思わないし、金も取らない。けど、誰かに話したくても誰に 話していいのか、話せる人を見つけられず。1人になってしまう人がいるなら、僕で良ければ話しを聞きたいと思うだけなんだ。

・・・だから、話を本題に戻して。結局、孤独ってね、そんなに怖いものでも嫌なものでもないと僕は思う。
孤独な時、ひとりきりの淋しい時があるからこそ、誰かが傍にいる時の嬉しさや楽しさを感じられるんだよね。
恋愛論とかで良く言われる”離れている時の淋しさが一緒にいる時の楽しさを倍増させる”っていうのと同じ様な事。孤独を感じる淋しさが、傍に誰かいるときの楽しさを倍増させるんだと思うんだ。
確かに差が激しいけど、毎日メリハリがあって楽しいと僕は思うよ。
それでも尚、1人になるとどうも落着かないなら、もしかして誰かといても落ち着けないんじゃない??
大丈夫だよ、肩の力を抜いて。
信頼できる人がいるのなら、あなたは絶対にひとりじゃない。今、この瞬間(とき)は触れられるぬくもりが見当たらないとしても、あなたの心の中にも誰かがいるでしょう?
頑張ってるあなたには魅力がある。だから、心配しなくてもきっと見つかる。見つけてくれる。大切な存在。
まだ見つからないとしても、大丈夫だよ。僕だってまだ見つからないし、他にも見付からない人がきっと沢山いる。その中の1人があなたの信頼し合える相手になるかも しれないし僕が捜している人かもしれない。全然関係ないかもしれない。そう、可能性は無限に広がってるんだからね。
見つかるまでは心の旅をするのも楽しいかもね(勿論、見つかってからもね(爆))

・・・・・こんな想いが僕を野良猫にしたのかもしれない。

※タイトルに「1999」とつけたのは、 「今の僕」にっては、という意味でした。
つまりこの先突然考えが代わるかも知れないってこと。

1999/07/26




前へ 次へ
★無断転写転載・引用厳禁★