悲しみと楽しみ


「楽しすぎたら悲しくなるのよ」という、誰かが言ってた言葉が僕は大好きだ。
どんなに辛い事があっても、悲しくても「楽しかったから、好きだったから」って思うと自分のしぼんだ心が、穏やかに報われる気がする。これは逃げてる訳じゃないと思う。
実際に何故悲しみが有るかといえば、その分の思い入れや執着、想いがあったりするからだと思う。

先日友人が「楽しいことや、喜び、嬉しい事」はいいけど、悲しみたくない。って悩んでた。
悲しむとその所為で、それまでの楽しい思い出や好きな気持ちが薄れてしまうって言うんだ。
そういう物なのかな?ときめきは涙に負けない、ってことはないのかなぁ・・・。
悲しみたくないのはみんな一緒だし。で、僕は解決法として、悲しむ時はとことん悲しむ、だがしかし関係ないものまで、「悲しみ色」のフィルターを通して見る気はない。
僕にとって、どんなに遠いものでもわずかなものでも、もらった想いは確実に存在するし、覚えていたいと、思う。それが遠くに行ってしまったり、消えてしまってもね。
その為にしっかり記憶するのが涙かな(笑)

涙を流した自分が思い出の中にいるからこそ、それだけ想っていた自分も忘れずにいられる。
ちょっと、ご都合主義っぽいけど(笑)人間どうしても、楽しい事より悲しいことのほうが思い出に残ってる。気が付くと忘れたくない事より、忘れたい事が増えてゆく。だからこそ、悲しみの根元には楽しい記憶があることを忘れずにいたいと思うんだ。
そうそすると悲しんで泣いてばかりいた自分さえも「いい思い出」として、消化できる。と、僕は勝手に信じてる。
思い出すたびに涙を流すのではなくて、時が過ぎたらそれに関わるすべての思い出に対して微笑める、そんな思い出にしたいから。

この世は永遠じゃない。何かが終わるから何かが始まる。何かが始まるから何かが終わる。
終わってしまうものをいつまでも受け入れられずに時間を止めてしまうなんて嫌だ。
時間は止まらない、戻らないんだからさっ。悲しみも楽しみもいつか終わりがくるのだから。それが、すぐだなんて言わないけれど、だからといっていつまで続くという保証もない。
それまで、僕の心に風を吹き込んでくれていたことは忘れない。でも、もう風が生まれなくなってしまった場所に僕はいられない。僕の時間は止ってないし、僕は風を求めてるから。
新しい風を探しに行くだけさ。
そう考えると「代わりはどうにでもなる」って感じもするけどね。
それがなかなか見つからないんだから(涙)

だから僕は風を求めて、風の生まれる場所に向かって常に歩き続けていたいと願うんだ。
喜びや想いという風を受けてそして、それを涙で記憶に刻み込んでそして新しい旅に出るんだ。
たった一人きりでも。・・・・・・・これも、野良猫のルーツなのかもしれない。




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